○ 古居監督から

避難解除はされたけど 帰りたくても帰れないよ

2017年3月31日は計画的避難区域に指定された福島県飯舘村の避難解除の日だった。村の出入り口には「お帰りなさい」と書かれた看板ができていた。この看板には多額のお金がかかっていると言う。さらに不思議なのは同じ出入り口付近に「おかげさまで封鎖解除です」と書かれたのぼりがたなびいていたことだ。何のおかげさまだと言うのだろう。
復興のシンボルの一つとして建てられた飯舘村の交流センター「ふれ愛館」には封鎖解除のセレモニーに出席する人々を乗せた何台もの大型バスが並び、村の人たちが降りて来るたびに、最近見たこともないような数の報道陣が取り囲んでカメラを向ける。セレモニーが開かれるふれ愛館にはおよそ300人の飯舘村の村民、関係者、マスコミ人が集まっていた。
国は東京電力福島第一原発事故により避難させられた人たち、帰還困難区域を除くすべての避難区域の避難解除を行った。避難解除と聞くと人が安心して住める状況が出来たと思うが、除染したものの、村の年間積算線量は世界的基準の1ミリシーベルトには程遠い数値だった。
私が通い続けた飯舘村も当初は1ミリシーベルトが基準値だった。それが5ミリシーベ ルトに。映画の中で村長は「1ミリシーベルトにするには最低20年はかかる。お年寄りが多いので村民は早く村に帰りたい、仮設では死にたくないと言う人もいる。せめて5ミリシーベルトを当面の目標に」と言っていた。しかしながらいつの間にか今は20ミリシーベルトより少しでも低くなれば安全という基準ができてしまった。20ミリシーベルトを切れば安全なら、なぜこれだけの人たちが6年もの間、避難せざるを得なかったのか?
映画のなかで菅野榮子さん(80歳)は、「20ミリシーベルトを切れば大丈夫だって、私らのことを人間として見ているのかと思ったよ」と怒りをみせた。
放射線量だけではない。村の風景は6年間で一変した。避難当初は春になれば花が咲き乱れ、まだ美しかった村のままであった。
しかし今、村の田畑には深緑色のビニールシートで覆われたフレコンバッグが何段にも積み上げられている。フレコンバッグには、除染の時に取り除かれた表土や草木が入っていて、当然放射性物質も含まれている。村に帰った人たちが毎朝、家の窓を開ければまず飛び込んでくるのはフレコンバッグだ。美しかった山並み、美しかった田園風景は消えている。
飯舘村にはお年寄りが多い。そのお年寄りが楽しみにしていたのが、山の幸であるキノコやタケノコ、わらび、ゼンマイ、行者ニンニク等々だ。放射能がなければ何も買物する必要がなく、米と味噌があれば何もいらなかった。その自然の中での生活も戻ってこない。
一方帰らない人はどうだろう。避難解除のお祝いがあった同じ日に、皮肉にも放射線量が高い福島を離れ、自主避難した人たちの住宅無償提供が打ち切られた。子どもの命を守ろうとすれば自主避難するしかない人は多い。誰も好き好んでそれまでの生活をすべて捨て、自主避難しているわけではない。放射線量が高く、特に成長期にある子どもたちへの影響が心配だからやむを得ず避難した。それを帰らないのは自己責任だと言う復興大臣はあまりに無責任だろう。
また避難区域の人たちも1年後には仮設を追われ、賠償金も打ち切られる予定だ。原発事故によって多くの人たちは人生を180度変えられ、生計も立たなくなっている。国や東電は本来ならば一生を償っていくべきことだ。少なくとも村民、町民が安心して暮らせる生活ができるまで寄り添う行政が求められる。
飯舘村で帰る人が多いのは高齢者だが、帰りたいけど帰ることをためらっているのは一人暮らしの村民だ。原発事故前なら一人暮らしでも、家が離れていても問題はそんなになかった。それが、お年寄りは6年たってさらに年を重ねているし、また野生動物が、かつての人間の生活圏にまで活動の場を広げ、闊歩していて、一人で自分の家に住むのは怖いと言う。
そういった人たちのためになぜケアハウスのような自立生活のできる福祉施設を作れないのだろうか? 村の交流センター、道の駅、小学校等々に数億円をかけられるのなら、村民に本当に必要な、安心、安全に暮らせる場を提供すべきではないだろうか?
映画の榮子さんも芳子さんもいずれ村に帰りたいと思っているが、荒れた大地や高い放射線量を考えると明るい気持ちにはなかなかなれないと言う。「帰りたいのに帰れないよ」と話す。後1年で仮設も閉鎖される。村に帰りたいと思っている人たち、帰れない人たち、どちらの人たちも安心して暮らせる環境を整えてあげることが今、急がれている。
国や東電は、帰村や、補償金を打ち切ることで原発事故後の処理を終わりとしたいのかもしれない。しかし、避難した人たちは帰村してどうなっていくのか、補償金が打ち切られてどう生活していけるのか、問題は何一つ解決していない。  

2017年4月


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3.11が起こるまでの私は海外での取材が主で、日本での仕事をしたことがありませんでした。そして3年前、震災、原発事故が起こり、私はあまりの大きな出来事になすすべもなく、自分にできることは何かという思いで、3、4月は被災地を回りました。
4月の終わり、ニュースで、それまで名前も知らなかった福島県飯舘村という村が全村避難…  ⇒続きを読む

 

 



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