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聖火ランナー(2019年12月19日)

オリンピックの聖火ランナーのコースが発表になった。普通なら喜ばしいところだが、今回は複雑な気分だ。オリンピックは好きだし、スポーツを見るのも好きだ。でも今の日本の状況を考えると、東日本大震災の津波や原発事故で被害を受けた方々の避難生活が今でも続いている人たちもいるし、その後も熊本、広島、台風19号と災害があとを絶たず、元の生活を取り戻せない人たちがたくさんいる。政府の唱える復興の名の下に、オリンピックの名の下に、多くの人たちが未だ苦しい生活を強いられている現実は覆い隠されている。
そしてまだ線量の高いところもある福島で聖火ランナーが走るということは驚きだ。飯舘村のコースも決まった。飯舘村のふれあい館から道の駅までだ。ここにはフレコンバック(除染廃棄物)は見えないが、別の通りには緑色のフレコンバックが並んでいて線量も下がっていないところがある。
確かにスポーツで被災地を元気づけることは必要だが、つらい現実が続いている人がいる限り、まずオリンピックまでに政府はそちらの解決を急ぐべきだと思う。

 


動物天国(2019年11月)

飯舘村は東京電力福島第一原発事故により、2011年4月に計画的避難区域に指定され、全村避難となった。村民が避難している間に台頭してきたのが野生の動物たちだ。イノシ シをはじめ、猿、ハクビシン、うさぎ、熊など。
私がよく見かけるのはやはりイノシシと猿だ。イノシシは家族連れでのっしのっしと人道を横切る。猿は群れとなって行動している。いるだけならまだいいが、作物を荒らす。
2017年3月に避難解除となった。村に帰って畑作業をする人も出てきた。畑をやってネギやカボチャ、ダイコンが食べごろになると出てくるのがイノシシや猿だ。村民のひとりは一度に猿が20〜30 匹来たので、追い払おうとバケツ を たたくと餌をくれるかと思って寄って来たという。
村は動物対策として、畑作業をする人に電柵を提供している。それでイノシシは撃退できても、猿は電気を通した柵の隙間から入ったり、飛び越えて入る。被害は後を絶たない。
当分、村民と動物たちとの闘いは続きそうだ。


例大祭(2019年11月20日)


今年も山津見神社の例大祭が行われた。原発事故以前は毎年旧暦の10月15〜17日に開かれ、最後の日、17日は「山御講(やまおこ)」と呼ばれ、全国各地から信者が集まり、例大祭にはおよそ3万の人たちが集まったという。その人たちの楽しみが茶屋だった。茶屋は木を組んで、カヤで四方を覆ったもの。映画「飯舘村の母ちゃんたち 土とともに」の榮子さん、芳子さんも茶屋で30年ぐらい中心となって働いてきた。餅やおふかし(おこわ)を作り、茶屋で売っていたのだ。榮子さんは「山仕事に従事する人たちを守る神様だから、全国から人が来ていた。あの頃は若かった。楽しかったな」とよく言っていた。
今年は避難解除して2年目の冬だ。昨年よりはお参りする人も増えたが、今年も茶屋はない。参拝客の中には「1日でなく、もっとやってほしい」「茶屋も欲しいな」とか「作る人が高齢だからどうかな」という話が出た。飯舘村の女性が「参拝する人で村民の姿が少ない」と話していたのに少し驚いた。

 

 


飯舘村の秋(2019年11月15日)

飯舘村のあちらこちらには台風の爪痕が残されている。知人のところは道が通行止めとなっていて、未だに迂回しなければ自宅にたどり着けない。以前見かけた通行止めの道もまだ直っていなかった。
村内を回ると相変わらず、フレコンバックが並んでいる。ソーラーパネルも並んでいる。村民の姿はほとんど視界に入ってこない。
今年は温暖化の影響か、紅葉が遅れた。例年のようにあざやかな紅葉がみられない。いつもなら11月の始めには紅葉が終わるぐらいだった。さらに先週は霜が降った。紅葉は霜が降ると終わるという。葉が枯れて落ちてしまうからだ。今年の紅葉は短い命のようだ。もうすぐ厳しい冬がやって来る。

 

 

台風19号(2019年10月28日)
台風19号、そして25日の大雨の被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
福島では大量の雨が降りそそいで、川の氾濫、土砂崩れが起こり、いわき市、本宮市、郡山市、伊達市、相馬市など大きな被害が出た。
飯舘村でも台風の夜、新聞を搬送していた川俣の男性が一名亡くなった。道の駅は大丈夫だったが、その周辺の田圃には水があふれたという。
台風19号のあと、そして25日の雨のあとも土砂くずれなどにより福島〜南相馬間などバスの運休も相次いでいる。
村内の道路の脇が崩れ落ちたところは通行制限されていた。飯舘村の道のあちらこちらには山から流れ出る水が道路に流れ、そして川に流れている。飯舘村の7〜8割は山だ。その山は除染されていない。除染されていない山から流れ出る水は汚染されているだろう。
今回も多くのフレコンバックが田村市や川内村では流れたという。飯舘村も1個流れたと聞く。以前、村で流れた経験があるが、その教訓は生かされていない。これからも大雨、大雪は降るだろうし、その対策は万全でなければならない。
飯舘村の山々が赤く色づき始めている。秋も深くなる。自然の恐ろしさを改めて感じた秋だ。

 

 

お彼岸の中日(2019年9月24日)

昨日はお彼岸の中日だった。台風が来るというニュースに、中日の前にお参りをした人が多いようで、人の姿は閑散としているのにお花だけはきれいに飾られていた。
飯舘村の人たちは先祖や伝統を重んじる。お彼岸になると必ず、家族でお墓参りに行く。私も何度か同行した。お彼岸にはお赤飯を炊く人、おはぎ(小豆やズンダ)を作る人、様々に家庭の味があるという。仏前や神前にはお盆のときのようにお供えをする家庭もある。お墓は比較的大きく、親戚のお墓も近辺にあったりして、花や線香を持ってたくさんのお墓を回る人たちもいる。
ちなみに線香は避難している人たちが多い中、火事につながる恐れがあると線香に火をつけないで横にして置く。
なぜかお墓の前とか横には、除染廃棄物のフレコンバッグ が置いてあることが多い。周辺の空間線量は 0.4〜0.5マイクロシーベルトと高い。お墓に眠っている人たちもいつまで フレコンバッグ を見下ろしていなければならないのだろう。

やませとひまわり(2019年7月28日)
あと少しで梅雨が明ける。飯舘村でよく見られるやませ。「やませ」とは霧が立ち込めることをいうのだと長い間思っていた。良く調べるとやませとは、主に東北地方などで吹く冷たく湿った東よりの風をいうのだそうだ。飯舘村にいると春から夏の季節は特によく出くわす。
2011年4月、相馬まで行くのに、飯舘村を通り過ぎた。その時の飯舘村は雨に濡れていて、山には霧が立ち込めていた。きっとやませの日だったのだろう。暗く、不気味な気がした。そして5月に本格的に訪ねたときは春の晴天の日で、花々が咲き、なんと綺麗なところだと思った。
2018年7月、やませの日、除染した田畑にヒマワリがあちらこちらに咲いていた。何もなかったかのように。

 

取材の足 (2019年7月15日)

私は取材するのに足がない。 要は車が運転できないのだ。今までの中東の取材では運転手付きの車で取材に回ることが多かった。というか、どんなに運転がうまい人でも地元の運転手にはかなわないからだ。それをいいことに私は不便を感じてこなかったのだが、日本国内での取材となると足がないことがもろ響いてくる。映画「飯舘村の母ちゃんたち土とともに」ではそのときどきで友人や支援の会のメンバーの車に乗せていただき、お世話になった。しかし飯舘村の母ちゃんたちも今では新しい生活に踏み出しているか、帰村しているか、復興住宅に入っているか、それぞれがばらばらになっているのだ。追いかけていくこちらも大変だ。と言いつつ、頑張るしかない。


 

 

フレコンバッ グ(除染廃棄物) (2019年7月7日)

先日、知人たちが福島県飯舘村を回るのに同行した。飯舘村は帰還困難区域の長泥地区を除き、2017年3月末に避難指示解除になったところだ。案内についてまわっている間気が付いたことだが、知人はフレコンバッグ(除染廃棄物)を見るたびに、「これは何、これを毎日見て暮らすの?」と驚きの声をあげている。それを見て、私はショックを受けた。何度この光景を見たことだろう。でも何度も通っているうちに、私の神経はマヒして、こんなものだと思うようになっていた。改めて、フレコンバッグがこれほど残っていることに、驚かされた。村民の方の話によれば、そのフレコンバッグ の一部はオリン ピックの聖火が通るところからは見えないように運ばれ始めているという。


ゴンボッパ採り ( 2019年5月)

5月の終わり、雨がばらばらと落ちていたが、映画「飯舘村の母ちゃんたち 土とともに」に登場していた榮子さん、芳子さんは 南相馬近郊の 知人の農地で育ててきたゴンボッパを収穫に出かけた。 榮子さんたちは頼まれればゴンボッパ生育の指導 や世話 もしている。
ゴンボッパとは、飯舘村の人たちが作ってきた保存食の凍み餅に入れる、欠かせない食材だ。初めて名前を聞いたときは何か冗談かなと思ったが、正式の名前だそうだ。
ゴンボッパは、学名オヤマボクチともいわれ、葉がゴボウの葉に似ているので、ゴンボッパと呼ばれるらしい。このゴンボッパには餅がバラバラにならないようにつなぐ役目があるそうだ。今年の収穫も終わりに近づいている。

 

 

 

 

 

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