○ 古居監督から

応援してくださる皆さまへ

映画「飯舘村の母ちゃんたち」を応援してくださっている皆さま、どうもありがとうございます。
3.11が起こるまでの私は海外での取材が主で、日本での仕事をしたことがありませんでした。そして3年前、震災、原発事故が起こり、私はあまりの大きな出来事になすすべもなく、自分にできることは何かという思いで、3、4月は被災地を回りました。
4月の終わり、ニュースで、それまで名前も知らなかった福島県飯舘村という村が全村避難になることを知りました。
そのニュースは私が長年かかわってきたパレスチナの人々が故郷を追われていく姿と重なりました。自分たちの生活を、農地を、故郷を、すべてを奪われること。そういう意味で、この飯舘村の出来事は他人ごとではないと感じました。
飯舘村を訪ね、最初にそこで見たものは、牛を飼っていた母ちゃんたちの姿でした。自分の子どものように生まれた時から育ててきた牛を、手放さなければならない日でした。「誰のせいなのよ?」「なんでこうなるの?」と顔見知りでもない私たちに向かって、必死
に訴えかけた姿は今も心に焼き付いて離れません。その日に立ちあったことで、それを見たことで、私は飯舘村のことを撮り続けなければならないと思いました。 
飯舘村は自然が豊かで、野菜から果物、きのこやわらびなどの山の幸、何でも取れるところです。
映画の登場人物の一人で、飯舘村の避難民の一人、菅野榮子さんは46年間酪農をする傍ら、農業をやってきました。榮子さんを撮影させていただいて、ちょうど1年になります。彼女を見て思うのは土地、そして自然とのつながりが強いことです。「自然の中できれいな空気を吸って、春になれば春の感じを受けて、四季折々の恵みの中で生きていくのが、人間として最高の幸せだと思って生きてきた」と話し、「土地を耕すことによって、一瞬なりとも放射能のことを忘れ、故郷を思い出す。飯舘にいるような気分に浸る。それが今、仮設で生きている原動力になる」と言います。
榮子さんはたとえ村がなくなろうとも、100年、200年後には誰かが村に住んでくれるだろう、その時のために村の伝統的な食文化「さすのみそ」「凍み餅」を後世に残そうとしています。その様はパレスチナの映画「ガーダ 〜パレスチナの詩〜」でガーダの祖母が故郷の歌を歌い、村の以前の生活を話すことで、次世代にパレスチナの原点を伝えていこうとする思いに繋がっていると思います。
 今も飯舘村の村民の心は帰るか、帰らないか、帰りたくても帰れない、と揺れ動いています。除染は昨年からほとんど進んでいません。先の見えない中でこれからも仮設住宅で1年、2年、3年と過ごさなければならないかもしれません。そんな中で、飯舘村の母ちゃんたちは何を思い、どう生きていくのか、彼女たちの生きざまを記録し続けたいと思います。           


 

 

 


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